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日本史を読む


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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/19 22:05
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
ツリーが長くなり、何より「年末」はないだろう、ということで新規ツリーを作成。

権力者が、生きているうちに家督を譲ったその上で上を目指す、というのも日本独特のものか、その他の世界にもあるものなのか。

・今川義元、氏真に家督を譲り隠居、しかしその後も三河に侵攻。
・織田信長、家督を織田信忠に譲った上で、戦いを続ける。
・徳川家康、征夷大将軍を秀忠に譲って隠居、しかし方広寺の鐘に因縁をつけて大坂冬の陣、夏の陣を起こす。

などなど、結構聞くような..

そういうシステムがあったのか、家督をもっていると何か不都合、不自由があったのだろうか。いわゆるお家騒動を避けるためだろうか。

後継者にならなかった子供が出家、というのもよくあるパターンですが、これも後継者争いを避けるための知恵、だそうで。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/2/26 11:32
LuckyHill  一人前   投稿数: 1416
話のつながり的には年末の風景 - 【空隙】その他もろもろの話題トピックへの返信ですが、名前も改めたこちら新トピックのほうにコメントします。


大河ドラマ『麒麟がくる』の内容を補完する意図があるのか、「斎藤道三 ふたり説」について来週放送があるようです。

3月4日水曜 NHKBSプレミアム 午後8時00分~ 午後9時00分
英雄たちの選択「戦国ミステリー 斎藤道三はふたりいた!?~下克上の真実~」
https://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2020-03-04/10/11988/2473191/


#本日の放送は2.26事件ネタでやらないのね
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/2/26 13:58 | 最終変更
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
史実はこうだが、人々に知られている話はこうだ、というものがかなりあるようで。

軍記物、歌舞伎、そして現在でも、大河ドラマの脚色が(笑)
そんなものを見つけたら、アップしていこうかと思います。

1 知られていること
2 史実はどうであるとされているか
3 その根拠となる文書など

これでいえば

1 斎藤道三は油売りから一国の主になった。
2 実は親子2代でなりあがった。
3 六角承禎条書による。道三死後数年で書かれたもの。

こういうことがあるから、歴史、およびその研究、勉強は不毛だとつい思ってしまうのですが。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/26 16:39
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
徳川光圀。

水戸黄門。これは有名だが、日本全国を巡ったりはしていない。
もとになったのは、講談『水戸黄門漫遊記』であり、実際には鎌倉、江戸くらいしか行っていない。
国史「大日本史」編纂のために儒学者らを日本各地に派遣したことはあるらしいです。

副将軍というのも、幕府にはそうい職制はない。ただ、水戸徳川家には参勤交代がなく、江戸にいつもいて、将軍にことがあったら、水戸徳川家当主が代わりをつとめると思い込んだ人もいた、ということらしい。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/26 20:25
YMN  常連   投稿数: 909
>史実はこうだが、

 映画「ラストサムライ」で忍者が登場しますが、日本側のスタッフが難色を示したけれど、「間違っているのは分かっているけれど、どうしても忍者が撮りたい」ということで押し切られたそうです。
あの映画の中であのシーンは、それなりに娯楽活劇として成功のようにも思えます。

 渡辺謙の勝元のモデルは西郷と大方の日本人は感じるかと思います。
トム・クルーズの主人公のモデルは(西南戦争でなくてしかも幕府軍で)函館戦争を戦ったフランス人のブリュネとのことです。
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Chryso

なし 武蔵坊弁慶

msg# 1.1.1.2.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/27 10:10
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
吾妻鏡によれば、1185年に源義経の郎党として名が記されているのみ。

義経都落ちの時、比叡山の僧兵、俊章が奥州まで案内したということ。
また、1188年にやはり比叡山の千光房七郎が義経の手紙をもっていて、北条時定に捕縛されている。
これらの僧兵の所業が集められて、誇張されて武蔵坊弁慶になったのだということ。

伝説は、後の「義経記」での創作によるもののようです。

...しかし南紀田辺は弁慶の出生地ということになっていましたが。弁慶像もあったし。
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Chryso

なし 今川義元の西上

msg# 1.1.1.2.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/28 17:12
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
今川義元の上洛目的の西上

麒麟が来る、ではどう描かれるのでしょうか。

桶狭間の戦いも、小瀬甫庵の『信長記』にある記述を明治時代に軍が採用して、寡兵で奇襲、大軍を破るとされてきたようですが、最近では太田牛一の『信長公記』の記述によるみたいで、信長は正攻法で戦った、とされているようです。
いわば織田軍は戦いのプロであり、今川軍は寄せ集めだったと。

小瀬甫庵って、『太閤記』も書いていて、フィクションとノンフィクションを混ぜて書いていたようで、史料としては採用されなくなっているようです。

ちなみに桶狭間(田楽狭間)、コミックなどでは大変な山の中、とされていることもあるようですが、実際には丘陵地で、どこにそんな山があるのかと(笑)そもそも、どこがその場所だったのか諸説あって決まっていません。

タイトルの、今川義元の上洛が目的、という話にも、疑問符がついています。
尾張の織田を撃破したとしても、そのあと、美濃の斎藤、近江の浅井・六角も蹴散らさないといけないわけで、敵中突破、そんな覚悟があったものかと。

上洛といえば信玄にもそういう話がありますが(三方原の戦いあたり)これも三河、尾張を通らないといけないわけで、本当かなと。
信玄は亡くなってしまい、どういう目的だったのかわかりませんが。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/3/2 21:54
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
うつけ殿が出てきましたね。
この物語のもう1人の主役です。

しかし、熱田にあんな海沿いの山はないし、日暮れに信長が帰ってくるのはいいとして、あのあたりに、海に沈む太陽なんかないぞと(笑)
地元民がいっているので間違いない。沈むとすれば鈴鹿山地ですね。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/3 5:56
Chryso  スタッフ   投稿数: 5771
ああ、あれは朝日でしたか。
それだとしても、熱田は南に開けている土地なので、朝日も見えません。

フィクションですからね。
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