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古そうに見えて実は最近のもの


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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 .5 .6 .7 .8 .9 .10 .11 .12 .13 .14 .15 .16 .17 .18 .19 .20 .21 .22 .23 | 投稿日時 2020/1/13 12:24
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
これは、みつければアップしていけばいいわけで、結構ログが長くなりそうな予感。
古くからの伝統にみえて、実は最近というものが結構あります。

***

「山岳信仰」で紹介されていたんですが、青森の恐山のイタコの「口寄せ」。

恐山にイタコが集まったのは、実は大正末期から昭和初期、昭和30年代に新聞が取り上げたことで有名になったらしい。
昭和27年には3人しかおらず、しかし昭和49年には38人になっていたとか。

明治29年の三陸地震で亡くなった人の遺族が7月に夏の恐山に慰霊に登ったときには、イタコはいなかったそうです。

もともとイタコは地元で活動し、行方不明者を探すなど、降霊が専門ではなかったようです。

近年はイタコも高齢化で少なくなっているそうで。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/13 23:42
伊豆倉 正敏  スタッフ   投稿数: 1042
最近他の神社でもやりだしたなあと思うのが人形(ひとがた)による厄払い
昔はフォーラムでトピックスを造ったほどの珍しさがあったのですが
(今までしていなかった)他の神社でもやり出して、各地区の掲示板にその地区の氏神様でもしているとの案内がしています。
作法は各神社により少し異なるようですが
・夏越し(なごし)と年越しの2回やるようです。
ウチの地区は昔からですが、お祓いなのでいい収入になるからと拡散しているようです
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/14 6:41
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
7年前に山形の月山に登った時に、頂上の月山神社でやっていましたし、下山したら、羽黒山でも。そういう風習があるのか、と思っていましたが、これがオリジナルとはわからないですね。

スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」に出てきたという話があり、それから増えてきたの、かな?
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/14 6:54 | 最終変更
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
成人式。

もとは蕨市(埼玉県)の「青年祭」で、1946年。これを青年の日にしたのが1949年、ということで実は戦後。

元服の日?と思ったら、元服はこの日ということはなく、随時らしいし、「元日のあとの最初の満月の日」と風習もあったようで、一時期の成人の日1月15日固定のほうがおかしいようです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/14 12:55
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
食品ロスといえば「恵方巻」を連想してしまう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E5%B7%BB

これも、再興は「セブンイレブン」だそうで。1998年に全国展開。

1932年の時点で「花柳界では、やっていた」という記述があります。
知らない、うち(家庭)ではやらない、という関西の人の話を聞きます。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/15 0:54 | 最終変更
伊豆倉 正敏  スタッフ   投稿数: 1042
あくまでも推測ですが
日本の神社をまとめている「神社本庁」のホームページに
「夏越(なご)しの大祓」と「年越しの大お祓い」の紹介があるので他の神社もやりやすくなったのでは無いかと思います。恐らくひとがたから茅の輪くぐりまでセットで用意していると
https://www.jinjahoncho.or.jp/omatsuri/jinja_no_omatsuri/ooharae
ただこのページの茅の輪くぐりの呪文が参加できたときと違うので(その神社のパワースポットとなる日なので平日で休みが取れない-ひとがたと祈祷料を預けてお願いしている)のでそこはローカルルールが有るかもしれません。
>中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。
となっているのでもしかしたら近くの神社でしているか聞いてみたらしているとの回答があるかもしれません。
 
 確か京都が舞台のサスペンスドラマで、地元が「流し雛」をしている地区で、人間雛祭りを企画会社が開催し、地元の人が怒って「人間ひな人形」と書いた幕を「ひとがた 罪汚れ災い、今後起きる災難・事故・病魔をこの方々になすりつけて」(もっと怖い内容だったともいます。)にすり替えてというストーリーを見た覚えがありますが、それが土曜サスペンスだったのか火曜ワイドだったのか、他の1時間物の刑事ドラマだったのかが思い出せないです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/1/15 1:22 | 最終変更
東 遥  スタッフ   投稿数: 4174
私が関東に居たころ(西暦2000年前後まで)は、「恵方巻」なるものはあまり伺った覚えが御座いませんで、神戸に来てから、へぇ、こうゆうのがこの地方には御座いますのですねぇ、と存じ申上げた次第。

で、時に時節に帰省するとセブンイレブンやスーパーマーケットやらで「恵方巻」!予約受付中!とかやってまして、あら何時の間に関東にも伝わったのですねぇ、と存じ申上げた次第。

それから販売競争生産圧倒が激しくなって自爆営業ノルマ超越喰いきれず売れずに豚の餌に直行する事例も伝えられて尚、今年もあの手この手の販売合戦捷号作戦本土決戦決号作戦が間もなく始まる模様では御座います。

まぁ、当日閉店間際に売れ残りを見切り販売半額で手に入れられるならまだしも昨今は本部からの締め付けが厳しいらしく売れ残ったらそのまま豚の餌に直行、断固デフレ反対らしい。

関連して、本部から指導に来た販売促進拡張団の皆様が店長を吊るし上げてとても売りきれない数量の注文を強いるとか、店長の知らない間にストコンを乗っ取って過剰な数量を発注するとか、色々と問題があるという風聞も流れてますのでいやはやもう。

困った物です。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/15 7:27
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
北海道では節分に落花生を撒くとか。

これは新しいだろう、なにしろ北海道の歴史って、松前藩やアイヌ以外では150年くらい、と思ったら、さらに最近で昭和30〜40年のものらしい。

1706年に南京豆自体は伝わってきたのですが、現在のものとは品種が違い、もっと後のようです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/1/16 14:07
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
明治時代からはじまった、というものが結構あるらしい。
有名どころでは京都の平安神宮ですね。
明治28年、平安遷都1100年記念の内国勧業博覧会の目玉として大内裏の一部復元、だということ。

これは有名ですが、明治神宮の森は人工の森で、計画されたものですね。
明治天皇を祀っているわけで、これは、できたのは大正9年です。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/19 12:56
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
桜の名所が、全国各地にありますが。

城跡が桜の名所、というのも明治、廃城令(明治9年)以降の話で、現役時代はそもそも樹木があるとそこに隠れることができてしまうということで、植樹もしなかったようです。

ソメイヨシノが大量に植えられたのも明治以降の話です。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/20 21:42
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
平安神宮と関連して、京都の時代祭も平安神宮の祭りということで、これも新しいもの。京都にあるとなんでも古くから伝わっているように思えますね。
京都の中古カメラ屋にある「平安時代のカメラ」というジョークがありますが。

祭りはかつてはほそぼそと伝わってきたものだが、ある時期から神社じゃなくて、地元の商工会とか商店街が復活させて、大きくしたものがあるようですね。
仙台の七夕祭りもそうらしい。

個人的に土曜と日曜の日程でやる祭は観光客を集めるためのもので、新しいものだと思っています。

古いものは曜日と関係なく日にちで決まっているものだと...

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/20 23:26
伊豆倉 正敏  スタッフ   投稿数: 1042
 祭りに関してですが、神戸市の御影地区でも上石屋と浜石屋(綱敷天満宮)、東明(東明八幡神社)は5/25が本来の祭りの日ですが地車をやるときに平日だと人出が集まらないので致し方なく土日にすることになっています。
 御影の中でも弓弦羽神社はたまたまゴールデンウイークなので神社の祭りの日です。
 他の神社のパワースポットになる日(本来の行事、厄除け、敷地内の別の社の日)等も参加者を考慮すると土日にしないと、人手が足りない、会社を休めない、(綱を引く)子供は学校行事があるとなります。
 ただこの神社の祭りの日、本来なら旧暦説もありそれを言い出すとややこしくなりそうです
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2020/1/21 19:56
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
祭りではないのですが、東京の世田谷に「世田谷ボロ市」というのがあり、これは日時固定で12月15・16日と1月15・16日になっています。これが土日と重なるとすごい人出になるとか。

これは天正6年(1578年)にはじまったもので、小田原城主北条氏政の楽市がその起源。歳の市として旧暦の毎年12月15日にやっていたものが、明治になって新暦になったら1月15日、そのうちに各16日にも開くようになったようです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/24 14:28
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
初詣。

初詣する対象が神社だったりお寺だったりするので古く考えられてしまうが、私鉄の営業政策で、正月を迎えたら、お参りするようにしたのが興り。明治以降の習慣です。

もとは、恵方参りだったようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%B9%E8%A9%A3%E3%82%8A

恵方だと毎年恵方の方角が変わるのに対して、初詣は方角と関係ないので、毎年安定収入が得られます。(笑)

鉄道自体が、かつては神社仏閣を目指して伸びてきたようですね。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/8 20:21 | 最終変更
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
幕府。

ことばとしては中国の漢代からあったということですが、武家政権の政庁のことをいうようになったのは、ずっとあとのことで、江戸時代中頃だということ。

頼朝が鎌倉幕府、尊氏が室町幕府とは言わなかったということですね。
そもそも京都室町に花の御所をひらいたのはのちの義満であって、いうわけがない(笑)

藩も同様に江戸時代中期から言うようになったようですが、これは江戸時代からのものなので、それほど時間的に離れているわけではない。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/10 14:42
粒子  常連   投稿数: 946
廃藩置県の後に出来た県も最近のものですね。
六三三四という学制も最近のものですね。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/11 0:20
伊豆倉 正敏  スタッフ   投稿数: 1042
意外と新しいと言えば、神様と仏様を分けたのが明治政府の神仏分離令で

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2
>狭義には明治新政府により出された神仏判然令(神仏分離令。慶応4年3月13日(1868年4月5日)から明治元年10月18日(1868年12月1日)までに出された太政官布告、神祇官事務局達、太政官達など一連の通達[2]の総称)に基づき全国的に公的に行われたものを指す。
 それまでは同じ敷地で一緒に祭っていたり、合祀(神仏習合)でごちゃ混ぜだったり、鬼門封じで神社と寺が連携したりとごちゃ混ぜで、どちらかといえば「寺子屋」と言う言葉が残るほどお寺の方が強かった時期もあるというか、今よりも限界集落に近い時代と地域だと両方兼務のお坊様がいたりとかしていたそうです。
 その名残で例えば七福神の大黒天様(日本神話の大国主神と習合)、毘沙門天様、弁財天様は
インドのヒンドゥー教の神様
→ 諸説有るが仏教の曼荼羅(まんだら)として日本上陸
→ 歴史をえるにしたがって神様と仏様の神仏混合の後、七福神となる
→ 神仏分離令でどちらかになるか選択を迫られた。

と言うわけでカバー範囲が、インドから中国経由日本までという忙しい神様(仏様?)がおられることになったそうです。
多分他にも仏教由来の神様がおられると思います。

修験道(山伏の方)は結局神様と仏様を分けていないそうです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/11 0:31
伊豆倉 正敏  スタッフ   投稿数: 1042
神戸市内だと東灘区深江に、大日如来を祀った「神社」が有ります。
大日霊女神社|兵庫県神社庁 神社検索
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301021.html
> 寺を出された旧本尊の大日如来を村人が引取り、現在地に祀ったのが当社の始まりと伝う。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/11 17:35
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
関ヶ原の戦いの布陣。

よく知られているものは、明治26年の旧参謀本部、日本戦史関ヶ原の役(附表・附図)の図がベースになっているよし。一次資料もなく、江戸時代の二次資料が伝えられている上、間違いもあるようです。再現できる性質のものではないので、自然科学のように追試して白黒をつける、ということができないのですね。

江戸時代、軍記物が流行して、汚染(?)があったようですね。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/16 21:47
YMN  常連   投稿数: 980
 沖縄の水牛は風土と溶け合って歴史ありげにも見えますが、インド水牛に由来するものが台湾からの移民により1933年に持ち込まれたそうです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/17 17:53 | 最終変更
LuckyHill  一人前   投稿数: 1476
東京オリンピックでは、陸上男子100mで日本選手が10秒を切る好記録を出して決勝に残れるか?という期待があったりする訳ですが、実は日本人が走れるようになったのは意外と最近(明治以降)のことで、なんと江戸時代までの日本人は走ることができなかった!


明治以前の日本人にとって走るということは、訓練をした武士、飛脚、猟師などごく一部の人のみが持つ一種の特殊技能で、一般の人は走れなかったらしい。そもそも昔の日本人の歩き方は、右手と右足、左手と左足が一緒に出る、いわゆる「ナンバ歩き」で、今のような腕と足を互い違いに振ることによって生じる上半身と下半身のねじれ動作というものを利用していなかった。

現代の日本人が、子供から大人まで、普通に(無意識のうちに)腕を振って歩いたり走ったりするのは、小さい頃(幼稚園、小学校・・・)から、行進の練習や体育の授業等で、腕と足を互い違いに振って歩く(走る)動作を延々と体に覚えさせられたから(←これ、明治以降に軍隊の西洋化に伴い導入された)。つまり学習によって得た後天的なものだということ。

明治以前の、火事や戦乱で民衆が逃げる様子の絵などを見ると、腕を振って上半身下半身のねじれ動作を利用すれば容易に走れるということを知らないせいで、早く逃げようと気ばかり急いて本能的に両手を前に突き出すような姿で描かれています。これは今でも2,3歳くらいのまだ幼稚園にも行っていない子供が「ママーッ!」と両手を前に突き出して駆け寄っていく光景に同じものが感じられますね。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/17 18:22
粒子  常連   投稿数: 946
小選挙区比例代表並立制がつい最近のことですね。小選挙区と比例制の二つの選挙制度です。
以前から小選挙区の方がよいと言っていた人たちはいたのですが、出来た制度は、小選挙区比例代表並立制。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/17 18:53
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
うーん。テーマが違うような。

最近な「だけ」ではなくて、「古くからのものだ」「伝統のあるものだ」と一般には思われているものを語るものであって、廃藩置県で県がおかれたのは、藩よりも後で、新しいのは自明だし、小選挙区比例代表並立制が最近のことなのはわかるとして、それを古くからある制度とは、思っている人は少ないのでは。

「新しい」「最近」というキーワードだけに反応していませんか?
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/17 19:59
ゲスト 
そうです。またまた悪癖がでてしまいました。
確かに新しいと最近という言葉に反応してしまいました。
古そうにみえてという言葉をどこかにすっとばしてしまいました。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/17 20:00
粒子  常連   投稿数: 946
アカウントを忘れました。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/20 12:47
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
みどり。

短期間的には、開発で減ってきているように思える一方で、江戸時代後期に日本にやってきたぺりー艦隊の記録によると、見える山に禿山が目立つという。
内陸まではみていないわけですが、この後に植林が進んで森林の国になったのかなと。

北斎(同じく江戸時代後期)の絵を写実的なものとみると、山にちょこんと樹が生えていて、あとは緑だが、森や林にはなっていない。

愛知県尾張の東部丘陵(愛知万博のあったあたり)もその昔は禿山で、植林で今の姿になっているとのこと。
中国山地でも聞きますね。前者は製陶、後者はたたら製鉄の影響だという話ですが。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/22 18:50
YMN  常連   投稿数: 980
http://labaq.com/archives/51192903.html
 1970年代のイランです。
イラン革命から年数が経ち、今の宗教国家のイランしか知らない人も多いと思います。
王政化での急速な近代化に無理があり、反発をかってしまったようです。

 他の世界を知らなければ知らないで今の境遇に不満を感じないことがありますが、イランには王政時代の記憶があり、ある一定層の不満を抱えていることになりそうです。
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Chryso

なし インカ文明

msg# 1.13.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/22 20:47
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
古いといえば古いが、(15−16世紀)「古代文明」というには、新しい。

1533年に滅ぼされたといいます。
日本では、その年ずばりによく知られた事件は起きていないようですが、翌年の1534年に織田信長が生まれています。そういう時代。戦国時代ということですね。斎藤道三が在命です。



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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2020/2/23 11:48
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
演歌。
女性歌手が、着物姿で歌ったりするので、古いような気がするが、1960年代のなかばにそういうジャンルとして売り出したもので、そんなに古いものではない。

明治20年代に政治的な演説が当局によって弾圧され、それを歌にして歌ったりしたもので、それを「演説歌」といったらしい。それが語源らしいが、「演歌」とはべつものですね。

ボサノバ(新しい感覚)は、1950年代に若者がいいはじめたそうで、それよりも新しいということか?
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/25 21:36
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
たまたま読んでいる鎌倉時代についての本の中に、「七瀬祓」といって、将軍のさまざまな災いをおわせた人形(ひとがた)を鎌倉近郊の7つの海岸に持っていき、祈雨のお祓いをしたという記録があり、それが1224年だということ。

吾妻鏡は関東では初めてだ、といっているわけで、京都ではもっと昔からやっていたのでしょうね。
かの陰陽師が京から鎌倉に出ていったそうです。




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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/28 6:57
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。

なんとなく伝統があり、世界最古か?と思ってしまうが、演奏を開始したのは1842年。

実際に古いのは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で、1743年、世界初の市民階級による自主経営オーケストラとして発足したのが最初。100年古い。

ウィーン・フィルは、実はニューヨーク・フィルと設立の年が同じです。

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YMN

なし 幕末の人

msg# 1.15
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/29 21:01 | 最終変更
YMN  常連   投稿数: 980
 割と最近まで生きていた幕末の人たちです。

徳川慶喜 大正2年(1913年)76歳(最も長生きした将軍)
斎藤一  大正4年(1915年)71歳 新選組隊士
長倉新八 大正4年(1915年)75歳 新選組隊士
飯沼 貞吉 昭和6年(1931年)76歳 白虎隊生き残り

 (降伏するのはあまり似合わない感がありますが)土方歳三が戦死しないで80歳まで生きたとすれば、やはり大正4年まで生きたことになります。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/3/1 6:17
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
袴。

袴自体は歴史があるようですが、女性がつけるようになったのは、明治時代の女学生の制服として採用されてからみたいですね。それも廃れて、最近は女子大生の卒業式にしか着ませんが。

卒業式。たくさんの人が出席して、会場に集まるのはこのご時世、NGなのでやめる、代替手段にする、というのが多いようで。
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Chryso

なし 同じ年生まれ

msg# 1.15.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/1 21:33
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
若くして作品が世に知られ、そして夭折した人の場合、「え、この人とこの人、同じ年生まれ?」と思うことがありますね。

太宰治と松本清張が、同じ1909年生まれだったりします。

wikipediaには各年ごとの項目がありますので、調べてみるといろいろ発見がありそうです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/2 0:27
東 遥  スタッフ   投稿数: 4174
洗濯板。

いろいろと....思うところは....御座いますが。

ぇぇ、ちゃんと大胸筋を鍛えねば。

....というのはさておき(爆)

浮世絵など見ますと盥(たらい)を使って洗濯をする様子が絵が描かれており、手でゴシゴシしていて如何にもその下には洗濯板があるぞと言われると信じそうですが、実際はない。


江戸時代、洗濯に石鹸と洗濯板を使用したか。


衣~洗濯・アイロン

などによれば江戸時代にはない、そもそもが国産ではなく、明治時代に外国から入ってきたもので、普及したのは大正期前後からだと言います。

ですんで、

桃太郎のおばあさんが川で洗濯に使った伝説の洗濯板

であるとか、絵本や、本当は怖いまんが日本昔ばなし(違)とかで、おばあさんが洗濯板を扱っているイラストがあれば、それは間違いということになります。

江戸時代に居そうな顔してるのに、実は外国生まれで明治に入ってきたヤツがこちらです「知らなかった!」「桃太郎は明治時代」

むう。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2020/3/2 1:41 | 最終変更
東 遥  スタッフ   投稿数: 4174
昨今は、三太郎シリーズの一人として、浦島太郎、金太郎と交友を深め、かぐや姫、乙姫、織姫と恋のかけひきを云々というところで御活躍の桃太郎さん。

元ネタというか現在巷間に流布する典型的なストーリーは概ね、

 ・桃から生まれる
 ・老夫婦に「桃太郎」と名付けられ育成される
 ・長じて離島に棲む鬼を退治にでかける
 ・その際に犬、猿、雉を供に連れる
 ・鬼との戦闘に勝利し宝物を奪い去る
 ・凱旋

というもので、

昔話の主人公から国家の象徴へ : 「桃太郎パラダイム」の形成(PDF)

によれば、これを「標準型」と呼び、また「果生型」と分類しております。で、これが定着したのは明治期に国定教科書の制定が進められ、そのなかで全国まちまちの方言、或は身分によって武士・知識階級が漢文・漢文訓読文を嗜んだところから庶民の口語までバラバラだった言葉を揃えて所謂標準語として「日本語」を形成するうえでの題材として確立されていったものが「桃太郎」の原型であり、その後世界に互する強国のイメージを付託されていったのが現在目にするストーリーなのだそうです。犬・猿・雉も、従前は「道連れ」だったものが「家来」に変えられ、鉢巻を巻き陣羽織を羽織り扇子を持って「日本一」の幟を携えるのも、この間に形成されたイメージなのだと言います。

その明治より前はどうだったかというと、所謂「回春型」というストーリーがあり、これは、桃を食した老夫婦が若返って若夫婦となり、致して子を生したのが「桃太郎」である、というものだそうです。今考えるとロマンチックではあるものの若返りという非現実的でありえない筋書きだと思うと、流れてきた桃から子供が出てくるというのも非現実的ですよねぇ、と、考え直せば不思議不可思議なものでは御座いましょう。

尚、「標準型」たる「果生型」成立前は、すべて「回春型」というわけでもなく、上流から流れてきた箱の中に子供が居た、等とする「果生型」に沿った伝承もあったとのことです。

そして明治中期に国の形を作るうえで重要な国定教科書に載せられた今日の「桃太郎」の編纂にあたっては、童話作家の巖谷小波が関わっており、実質的に氏が現在の桃太郎の「執筆者」であるとする見方もあり、そうしますと桃太郎は明治に改めて放送成立したとも見えるのでしょう。

序でに、桃太郎が犬・猿・雉にふるまった「きびだんご」については、初期の類型には見えず、時代が下るにつれて「いくよ餅」「大仏餅」「とう団子」等が登場し、「きびだんご」となるのは元禄時代以降となるそうです。またその表記も当初は「黍団子」であり、今でいう「吉備団子」や、それを背景にした吉備国=岡山が「桃太郎の故郷」というイメージも戦後にイメージ戦略でつくられたもので、戦前には必ずしも岡山と結びつけられたものではないとのこと。併せて吉備津神社と絡めて岡山発祥とする説明も、言って見れば後付だとする説も御座いますとか。

因みに伝承や派生を浚うと、

●出生
現在の「川で拾った桃を割ったら出てきた」の他に
・桃は川に流れていたのではなく花見に行って拾った
・拾得物横領罪した桃を戸棚他に放置してたら自然に割れて出てきた
・流れてきた箱の中から出てきた
・北陸では流れてきた香箱から。但し香箱は隠語で実は....
・お爺さんとお婆さんが若返って致して生まれた(回春説)

●人となり
今日ですと「真面目で思いやりがあり逞しく勇敢精悍で女性に優しい草食男子」というところでしょうが
・怠け者の寝太郎だったが一念発起した
・実は女児で、鬼に攫われぬ様男児として育てられ「桃太郎」と名付けられた

●家来
「犬・猿・雉」が定番ですが、其れも色々と
・決して家来ではなく、対等の道連れだった
・登場順序もいろいろと違いがある
・東京北多摩では蟹・臼・蜂・糞・卵など、って、猿蟹合戦と混ざってません?
・山梨県では犬目で犬、鳥沢で雉、猿橋で猿を拾った、と具体的言及

●戦闘
これもいろいろと
・行き先は鬼が島ではなくニラの島(竜宮)である
 鬼の襲撃で島民は既に死に絶え残された手がかりから鬼退治に至る。
・岩手県では、鬼に団子を与え、その隙に姫を救い出して後に結ばれる
・鬼を相手に宴会を開き酔わせたところを退治した
・鬼族の戦力を100人と想定
 ドーベルマン50頭、ゴリラ30頭、鷹500羽、手榴彈1000個を準備
 夜戦用の戦闘服に替え上陸用舟艇で隠密に接近
 二手に分かれて上陸後地雷原を迂回して根城に接近し
 夜陰に乗じて鷹が上空から手榴弾を投じる奇襲絨毯爆撃から始め
 攪乱したところへドーベルマンを投入して鬼戦力無力化
 最後にゴリラを投入して鬼族を制圧して作戦終了
 以上が作戦の骨子と必要戦力である。
 by ボルボ西郷立案『砂の嵐作戦』

そうですよねぇ、典型的なイメージの陣羽織に鉢巻、カラフルな扇子に旗物を振り翳して行ったらAK-47で狙い撃ちですものね。

作戦物語一つ真面目に考えると、様々な要素が絡み変遷を辿りむつかしい。
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YMN

なし Re: 幕末の人

msg# 1.15.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/2 19:51
YMN  常連   投稿数: 980
>徳川慶喜 大正2年(1913年)76歳(最も長生きした将軍)

https://netlab.click/jphistory/rank_tyouzyu
 「徳川将軍家 歴代長寿ランキング」があります。
2位が73歳の徳川家康で、最後と初代で1,2位ということになります。
将軍の生活はあまり健康的でなかったのかもしれません。

 秀吉は1537年生まれ、家康は1543年でそんなに年は離れていなくて、長生きも家康に味方したことになるでしょう。

>(降伏するのはあまり似合わない感がありますが)土方歳三が戦死しないで80歳まで生きたとすれば、

 旧幕府側に対して新政府は比較的寛大な面がありますが、新選組への恨みは強く仮に土方歳三が降伏しても助命は難しいでしょう。
元新選組でも斎藤一は警官になり西南戦争で西郷軍と戦ったりしています(そして「るろうに剣心」のキャラクタになったりもしています)。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/3/8 14:37
東 遥  スタッフ   投稿数: 4174
は?

太古の昔から伝統的日本料理素材鍋料理の具でしたが、何か?

....という顔で食卓の籠の中に鎮座する白菜ですが、実は現在私たち現生日本人類が漬物にしたり鍋料理にしたりする丸っこい(結球する)種類の所謂白菜を常食できる様になったのは20世紀に入ってからのことだそうです。

江戸時代以前より白菜の仲間のうち非結球種のものは屡渡来してきましたが品種として確立維持されることはなく、その場限りなのだそうで御座いました。

白菜の属するアブラナ科アブラナ属の植物は交雑性が強くうっかりすると次の世代はF1(雑種第一代)ばかりとなり以後の品種が劣化し保てなくなるのだそうです。

明治政府も導入を試みたところが愛知県で半結球の山東白菜が維持されたのみで凡そ失敗。日露戦争で大陸に出兵した兵士が当地で食した白菜の味を気に入り種子を持ち帰った今思えば大らかな時代に日本各地で栽培が試みられたものの大抵は矢張り交雑により品種が劣化して失敗、大正期から昭和の始めにかけて松島群、野崎群、加賀群の現在に続く三大品種群が作りだされたそうで御座います。

序でに言うと現在の韓国産キムチで白菜を主体とするものが御座いますが、これも西暦1909年に大韓帝国に日本から持ち込まれた清国1号という品種を使ったのが始まりで以後10年をかけて当地での栽培が定着し今見られるキムチの一群になったのだそうですが、うっかりこの話をしますと又怒られますので此処だけの話にしておきましょう。

因みに白菜は

嘘だろ…私の生まれたときから続く白菜人生は何だったんだ……「白菜は内側から食べるのが正解」

内側から食べるのが長持ちのコツだそうで御座います。皆様もどうぞ今日から美味しいお鍋をどうぞ。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/8 21:34
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
寿司、いろいろな種類があるわけですが、古いものも新しいものも混じっているようで。

ネタの鮭って、昔はなかったよな、と思ったら、はじめは30年前で、売り込んだのがノルウェイらしい。回転寿司にはあるけど、寿司屋にはないのも、こういう事情かな?

軍艦巻き。いかにも明治以前にはなさそうな名称ですが、昭和16年、銀座の久兵衛で、ネタはイクラだったそうです。

近海ものはいいとして、遠洋漁業をして、発達した冷凍技術を下敷きにしたネタは、やっぱり江戸時代にはなかったんでしょうね。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/3/21 23:25
YMN  常連   投稿数: 980
>袴自体は歴史があるようですが、女性がつけるようになったのは、明治時代の女学生の制服として採用されてからみたいですね。それも廃れて、最近は女子大生の卒業式にしか着ませんが。

 卒業式が敢行されたのか、卒業式は流れても袴姿になりたかったのかチラホラと袴姿を見かけました。
卒業式に袴姿というのが、以下のようにもうひとつの意味で意外と新しいのでした。

https://kindaipicks.com/article/001556
----引用
卒業式にはほとんどの女子生徒が袴で出席していますが、「卒業式といえば袴」というのはいつ頃定着したんですか?

実は90年代からなんです。

えっ! 意外に歴史が浅い!

きっかけは南野陽子さんなんです。1987年に南野陽子さん主演の『はいからさんが通る』の実写映画が公開されて、主題歌も大ヒットしたんですが……歌番組などで南野さんが袴を颯爽と着ていたんです。その翌年、とある大学の卒業式に3、4人がはいからさん風の袴姿で出席したそうです。さらに翌年には200人くらい着ていて、そこから全国に広まったと聞いています。
----引用終了
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/22 7:56
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
昨日、高崎でみたのは、袴姿で、黒いスカーフをしている外国人、たぶんイスラムの女子学生。なるほど。



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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/3/23 22:19
YMN  常連   投稿数: 980
 プーチンの続投が可能になるロシアの憲法改正に関して、どこかで聞いたようなテレシコワ議員なる人がキーウーマンとして登場してきました。
1961年の初の有人宇宙飛行から間もない1963年の女性宇宙飛行士で、半世紀以上前でそろそろ歴史の中の人物の感がありますが、ある意味ではまだ現役ということになります。
「何で宇宙飛行士が議員やっているんだ?」という感がしますが、日本でもスポーツ選手やタレントから政治家になることは珍しいことではありません(適材適所かどうかは分かりませんけど)。
おそらくロシアではテレシコワさんに大きなネームバリューがあるのでしょう。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/4/2 5:40
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
逆に、結構古いものの話。

https://www.tokai-tv.com/tokainews/article.php?i=121373&date=20200401

三重・多度大社『上げ馬神事』 新型コロナの影響で中止

GW頃にありますね。荒っぽい祭りで過去には死者もでています。
しかし中断は、織田信長の長島一向一揆の焼き討ち以来の400年ぶりといいます。明治維新の時も、太平洋戦争の時もやめなかったということですね。
祭り自体は南北朝時代から続いているとのことで700年の歴史があるそうです。

...8年ごとにやる、諏訪の御柱祭、大丈夫か?

次は令和4年だそうで、はずれてはいます。しかし観衆も密集している上に木を挽く人も大勢ですからね。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/5/27 8:11
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
新しい生活習慣。

過去ログをみれば、古い伝統で守り続けないようにみえて、じつは最近にはじまったもの、というものもあるわけで。

生活習慣を変える心理的抵抗も少なくなるのでは、と思いますね。

***

テレビでは居酒屋のことをやっている。
居酒屋が増えたのは、勤め人が増えて、帰宅途中にふらっと寄る、という人が多くいたからでしょう。

それが、在宅勤務が増えて勤め人が減ったら、その「パイ」が小さくなるのではないかと。元には戻れないと思うがいかん。

これも起源は江戸時代であって、チェーン店化がすすんだのは1980年代からということです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/9/27 11:29
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
天下の副将軍。水戸黄門。

そもそも幕府の職制に「副将軍」というものはなく、記録にもない。

家康が出したという法令にあるという話ですが、そもそもが偽文書だったらしい。幕府の記録にもない。

しかし、明治維新政府が「不平等条約を改正」するために、江戸幕府法を収集整理している過程で採録したらしい。

ちゃんと法律がある国だぞ、と主張したかったというわけでしょうか。

この、不平等条約改正のときに「盛った」そして現代まで続いている話もあるのかな。

「大御所 徳川家康」(三鬼清一郎、中公文庫 2019)
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/10/24 20:30
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
ビバルディの「四季」。
もちろん、作曲されたのは300年くらい前ですが、それからずっと忘れられていたもの。
当時は楽譜を残さなかった作曲家=演奏者が多く、その作品は死後は演奏されなかったわけですが、これは楽譜が発見され、イタリアのイ・ムジチ合奏団がレコードにして大ヒットしたという歴史があります。
その再発見が1949年と20世紀のなかばで、かなり新しいですね。戦前には演奏されなかった、ということになります。

バッハもメンデルスゾーンが再発見したらしく、こういう再発見話はころがっていそうです。

主流がLPからCDになったことで人気が出た、有名になった、というのもあって、それはマーラーですね。
長いので、LP時代は2枚組で5000円くらいしたものが、CDだと1枚ですからね。昭和57年以後です。
著作権が切れた、ということも多数のLPが出た、という事情もあります。著作権という考えも最近のものです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/10/24 23:13
OK_like-mj  常連   投稿数: 618
イ・ムジチ合奏団の"四季"が流行ったのは
思い出します

おっしゃる通り、まだ埋もれている可能性が
ある気がしますが

なかなか、クレオパトラの最近の発見のように
ここだって当たりをつけて発掘する人が
いればの話しになってしまうと思います

かなりの成果が見込めるようでないと
スポンサーも付きませんからね
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/10/29 17:35
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
川越の町並み。

「小江戸」として売りだしているので、江戸時代のものか、と思うけど、実際には1893(明治26)年に川越大火があり、その後、防火対策蔵造りの耐火建築を建てたもので、意外に最近です。全部火事で失われたものではなく、残ったものもあります。

大沢家住宅というのが寛政4年(1792年)に建てられたもので、蔵造りだったもので、川越大火でも生き残り、そのため、ほかの商屋も蔵造りにした、という歴史があるようです。

家屋は建てられた後のメンテナンスが重要で、細かく見ると建築された時のまま、というのは難しいものもあるんでしょうね。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/10/31 9:19
OK_like-mj  常連   投稿数: 618
行ったことがないんですが
川越、かなりイイ感じな気がします

旨そうな店も見た記憶があり
感じとしては、金沢の武家屋敷群が
ほとんど商売っ気がないのに比べ

風情あり、食ありで
そそる人には、そそるでしょうね
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2020/10/31 21:00
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
明治神宮。これは割と有名かも。

明治天皇を祭神にしているわけで、創建は大正9年(1920年)。今年100周年です。

日本(東京)の気候下では、100年で森ができるということですね。寒い地域ではそうはいきません。

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/11/3 17:50
Chryso  スタッフ   投稿数: 6194
クラシック音楽というくくりがそもそも曖昧なようで、これを解説するには長文になってしまってくだくだしくなる。

いわゆる名曲が名曲になったのは、エジソン1877年の蓄音機、ベルリナー1887年のグラモフォンの発明と普及の後、みたいですね。
コンサートに行って聞かなくとも、場所と時間を超えて、低コストで曲を何回も聞くことができるということで、「売れ筋」の名曲が録音されて何度も再生された。
ラジオが発明されて普及すると、それで再生された、という歴史があるようです。名曲が初演時から人気で、それをひきずって今も人気、というわけではないようです。もちろん、その前には楽譜が発明されて、「新曲」でもない、過去の作品が演奏されるようになった、という歴史があります。

そもそも初演時にはそれほど人気があったわけでもないものもあるみたいで、それぞれの曲が個別の歴史をもっているようです。
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