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年末の風景


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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2019/12/30 16:28
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
娘が修士論文で忙しいとかで、帰ってこない。2?年ぶりに、2人だけのクリスマス、年末、正月となった。

となると割と暇で、しかし今年の休みは長いということで、せっかくだから日本史関連の本を集中的に読もうと。

受験勉強では単語にひきづられたのですが、今読み返せば、似たような政策を、時代によって政権の違いで、違って呼んでいるだけではないかと。(こまかく見れば違うんでしょうけど)
で、社会人やると、当時はイメージがわかなかった政策も、わかってくるのですね。

最初は源頼朝。
最近、教科書では鎌倉幕府の成立が1192(イイクニ)年ではなく、1185年になったらしい。
1192年に確かに征夷大将軍になっているが、なんでも、朝廷では大将軍にするか、征東大将軍にするか(源義仲の実績あり)議論があったらしく、結局、征夷大将軍になったが、それほど深い意味があるわけではないということ。守護・地頭を全国に配置して、実質的に支配したのが1185年だそうで、それをとったようです。

***

征「夷」大将軍といういいかたも、初代の坂上田村麻呂はそうかもしれないが、頼朝の時にはもう形骸化して、職名だけになっていますね。これは江戸幕府まで続きますが...

職名といえば、受領、「国名+守」、この時代は伊予守とか播磨守が上級だったらしい。
なにゆえに伊予だったり播磨だったのかよくわからない。どこかにどの地名が上とみられたのかの表もあるんでしょうね(私が知らないだけ..)

戦国時代のなんとか介は、自称だそうで。で、上総介なんかは一生に一度も行ったことがないですからね。

というように個人的な疑問を設定して読みすすめています。



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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2019/12/31 0:48 | 最終変更
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
引用:
職名といえば、受領、「国名+守」、この時代は伊予守とか播磨守が上級だったらしい。
なにゆえに伊予だったり播磨だったのかよくわからない。どこかにどの地名が上とみられたのかの表もあるんでしょうね(私が知らないだけ..)

たぶん、国力による分類・大国 - 上国 - 中国 - 下国が基となっているのではないでしょうか。伊予は上国、播磨は大国でした。

また源頼朝にとっては五世の祖(=高祖父の父)に当たる源頼義は、前九年の役で安倍さんを滅ぼした後、反自民政権の樹立を・・・じゃなくて、征服した地に根を張るため陸奥守留任を望んだけど、朝廷から危険視されて伊予守に任命された、なんて話もありますが、

>頼義は朝廷より正四位下伊予守に任じられる事となった。この当時の伊予国は播磨国と並んで全国で最も収入の良い「熟国(温国)」として知られ、そのために伊予守も播磨守と共に「四位上﨟」と称される受領の筆頭格であった

とwikipediaにはありますね。

ほか大国で有名なのは、芥川龍之介の『芋粥』で主人公が芋粥を御馳走になりに連れて行かれる越前国。幕末のキーパーソン松平春嶽も越前の殿様でした。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2019/12/31 1:31 | 最終変更
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
もう一つ、上総、常陸、上野の3か国については、親王任国といって親王(天皇になる資格がある皇子)が名目上、守(=長官)を務める国ですね。これら3か国では次官である介という役職を任命された者が実質的な長官として任地を治めます。

そういう経緯があるので、吉良上野介がほかの何とかの守を名乗る人たちより自分が格下であることを悩んだ、なんて話はありません(笑)
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Chryso

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2019/12/31 8:37
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
はい、そうそうと次に読み始めた「院政」という本に出ていました。

どの国が大国、上国になるのかは、収入ほかの要素の「総合判断」だそうで、細かい数字は不明です。
いずれにしろ、後には官位に使われただけで、場所には意味がないようです。

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Chryso

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/2 17:37
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
で、次に後醍醐天皇の話を読んでいるわけですが。
これがまた、専門用語というか朝廷用語を、解説なしに、いきなりに使われるものですから、鳩に豆鉄砲状態。

まあ、ネット上でその用語を検索すればwikipediaかコトバンクで引っかかりますけどね。
で、立坊ってなんのことだと調べたら立太子と同じだと...
立太子、って同じ本の中の別のところで使われていたではないか。ルール違反だ(笑)

引用が多く、原文にそう出ているのをそのまま使っている可能性がありますね。
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Chryso

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/2 18:12 | 最終変更
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
ちなみに建武の「新」政と、後醍醐天皇の「親」政は別ものだと...40年ぶりくらいに思い出しました(笑)

「テストにでるぞ」

筆記試験に出て、みんな間違えるんですねえ。

先日読んだ「頼朝」の本には奥州藤原氏がでてきた。
これもまたテストに出る難問で、真衡と清衡と家衡と秀衡がいますからねえ。覚えるのが大変。覚えなくてもいい分、気楽ですね。

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LuckyHill

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 .4 | 投稿日時 2020/1/4 16:02
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
いろいろまとめてコメントします。

>テストに出る難問で、真衡と清衡と家衡と秀衡がいますからねえ。覚えるのが大変

真衡と家衡は清衡の母が再婚したことで関係ができた異父兄弟で清原姓。清衡・基衡・秀衡が俗に言う奥州藤原三代ですね。前者が出るテストはかなり難題(マニアック)ですよ。


>最近、教科書では鎌倉幕府の成立が1192(イイクニ)年ではなく、1185年になったらしい

時代とともに学会(学説)の主流が変わって来たんでしょうね。個人的には、あとに続く足利幕府も徳川幕府もともに初代が征夷大将軍に任命された年を成立年にしているので、鎌倉も頼朝が将軍に任命された1192年のままで良いのではないかと思いますけどね。

話は逸れますが、大河ドラマ『麒麟がくる』の番宣を見ていたら、本木雅弘演じる斎藤道三のところで「一介の油売りから成り上がった亡き父と2代かけて美濃を支配するようになった・・・」という説明がされていました。司馬遼太郎『国盗り物語』では一代で油売りから戦国大名にまで成り上がっていましたが、「斎藤道三・二代説」というものもあって今回は後者を採用したみたいです。私がこの説を知ったのは、宮本昌孝『ふたり道三』という小説ですが、なかなか面白かったので気が向いたら読んでみてください。越前朝倉攻めの際に、浅井久政長政父子は「朝倉には深い恩義がある」と言って織田信長との同盟を裏切って背後から攻めるのですが、小説にはその恩義となった出来事も登場します。


>国力による分類・大国 - 上国 - 中国 - 下国

昨日のチコちゃんに叱られるで、中国地方はなぜ中国なのか?という質問が出て、畿内からの距離による分類 近国 - 中国 - 遠国であるという説明がされていましたね。
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Chryso

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/4 16:47
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
一字拝領という、習慣というか文化というか、がありますから。名前も似てきますね。
そのときは後に受験勉強の難問になるとは知るよしもない。

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Chryso

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1.1.1.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/4 20:13
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
「遠国への流罪」が理解できました。

佐渡とか隠岐は遠国扱いなんですね。
(もちろん京都=朝廷中心に考えています。)


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Chryso

なし 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 | 投稿日時 2020/1/11 15:13
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
異母兄弟。

実の親や兄弟も敵にする下剋上の世の中...

というか、その昔は兄弟といいながら、父親は同じだが、兄弟の母親が違うというのは結構というか普通にあるわけで、兄弟に対する愛情も薄かったのかもしれないと思ったことでした。

頼朝と義経は兄弟といいながら、母親は違っていて、12歳違う。
一緒の環境で育ったわけでもないし、一緒に遊んだわけでもないし、これでは兄弟愛なんかは育てにくいよな、と思ったことです。

同母兄弟、実の親を殺してしまった例もあるようですが..
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LuckyHill

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/11 21:49 | 最終変更
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
同母兄弟でも仲が悪いケースはあって、有名どころでは
織田信長とその弟の信行
三代将軍 徳川家光とその弟の忠長(駿河大納言)
はどちらも兄が弟を殺していますね。あと伊達政宗もかな。

異母兄弟。その家光は異母弟の保科正之(秀忠の隠し子)とは馬が合ったのか幕府で重用しています。
それから『麒麟がくる』ではどう描かれるか分かりませんが、足利義輝・義昭(同母兄弟)の異母兄が細川藤孝だという説があります。なんでも、兄弟の父親である12代将軍足利義晴が自分の胤を宿した愛妾を近臣の三淵晴員(公式には藤孝の父)に下げ渡して生まれたのが藤孝で、義晴もさすがに不憫に思ったのか(我が子ですからね)、三淵晴員の実家である細川家(といっても管領を務める嫡流の細川京兆家ではなく和泉守護を務める分家)の跡継ぎ養子にして細川姓になったという。

異父兄弟で有名なのは、羽柴(豊臣)秀吉・秀長兄弟で、これは仲が良かったと言われていますね。
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YMN

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/11 23:24
YMN  常連   投稿数: 912
>、その昔は兄弟といいながら、

 北朝鮮では現在でも世襲の権力のもとで異母兄弟の兄殺しがあったりします。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/15 12:28
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
頭にいれておくべきは、長子相続制ではなかったということでしょう。

長子相続制になったのは明治時代、士族と華族、やがて平民にも。
しかし第二次世界大戦後は民法も改正されて、家督相続そのものが廃止されています。

有無をいわさず長子相続制だったらお家騒動は起こりにくかったか..
いや、長子を殺すだけのことだったかも。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/1/23 6:01
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
一応今シーズンの区切りとして「平将門の乱」(岩波新書)を読む。
将門の首は、京都から東国まで飛んできたらしい。太宰府の飛梅の話もあるし、ヤマトタケルは白鳥になったというし、昔は、飛べることができたんですねえ。

近くの通勤途中に鎧神社というのがあって、将門の鎧を祀っているという話。中央線の大久保から東中野のカーブはこの鎧神社を避けるように通したという。しかし、将門の首は、途中で落ちてきたとされたものを祀ったものが、いくつもあり、胴体のほうのこの鎧神社のことは、紹介もされていなかった。

ちなみに将門が神田明神の祭神に復帰したのは、かなり新しく、昭和59年(1984年)だったよし。1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」で有名になったということ。なんせ朝廷を敵に回して新王と称したわけで、明治天皇の行幸のときに、これではまずかろうと祭神から外されたようです。

***

太平記以外にもいくつかの資料にあたって、将門の行状を追っている様子。よく系図も事件もわかっているものだと感心しますが、それを明らかにするのに、何人もの歴史学者が資料を読み、解読して、話を組み立てたんでしょうね。歴史ものは、これに限ったことではないです。

関東の「鉄」の製造遺跡の調査の話が出てきます。この頃だと、鎧も買うわけにはいかず、自前で調達しないといけなかったんですね。

小貝川が出てきますが、(意外に古いんですね)その頃は「蚕養川」と表記されていたようです。鬼怒川は絹川。こういう例が結構あるようで、全国的な地理の知識がつくと面白くなってきます。

話の内容は...じつは、構造と場所と権力のダイナミクスしか興味がなく、登場人物が誰かにはあまり興味がありません(笑)
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粒子

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/23 6:55
粒子  常連   投稿数: 757

「知の技法」という本でも史料 日本的反逆と正当化の論理 
という話で将門を取り上げていますね。
「帝都物語」でも将門が出てくるんですよね。
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LuckyHill

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/1/23 12:17
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
>じつは、構造と場所と権力のダイナミクスしか興味がなく、登場人物が誰かにはあまり興味がありません(笑)

歴史の楽しみ方は人それぞれで、私はどちらかと言えば人物主体かな。
コメントにもあった1976年の大河ドラマ「風と雲と虹と」は、私が一年通して全部見たはじめての大河ドラマで、その頃の自分は
「平将門(加藤剛)て誰? 平清盛のお父さんなん?」
「アホやなぁ、おまえ。時代が全然ちゃうわ」
みたいな会話を父親としていたものですが、しばらく後で百科事典か何かで平氏の系図を見て、将門と争っていた従兄弟の平貞盛(山口崇)の直系の子孫が清盛だと知った時には、なぜかワクワクした感じがあったのを覚えています。私が歴史好きになったのはこんなところが発端でしたね。人のつながり重視。別に昨今の防災関連の標語を先取りしていたわけではありません(汗)。

ついでながら、最終回で将門を討った田原藤太こと藤原秀郷(露口茂)の子孫が、実は1993~1994の大河ドラマ「炎立つ」の主人公・藤原経清(渡辺謙)で、その息子が奥州藤原氏三代の初代・藤原清衡(村上弘明)と言うふうにつながっている、というのは知っていても何の得にもならないムダ知識です(笑)。

NHK歴代大河ドラマでは、室町時代ものが「太平記」「花の乱」くらいしかなく層が薄いので、2022年の三谷幸喜「鎌倉殿の13人」の次には北条早雲を主人公に、応仁の乱から戦国時代への導入期を期待したいところです。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/23 12:52
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
>権力のダイナミクス

平安時代には摂関、鎌倉時代には執権、室町時代には管領、江戸時代には老中、昭和時代には軍部(笑)と、時の権力者も何代か続くとNo2がのしてきますね。

なかには実力も何も、若すぎて、その補佐役ということでNo2なりが権力を握った例もあり。世襲の問題点ですね。

これ、日本独自のものか、汎世界的なものか、どうでしょうね。

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LuckyHill

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/1/23 21:24 | 最終変更
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
>No2がのしてきますね

学校で習う日本史の範囲において、分かり易い形で繰り返されているせいで、日本に特有のものだと思えてしまうのでしょう。西洋史においても中世のフランク王国で、最初はメロヴィング朝というのが興って、その後、宮宰と呼ばれた家来筋の者に権力が移行して、カロリング朝となっていった例がありますから、洋の東西を問わず普遍的なパターンの一つではないでしょうか。

ところで「鎌倉時代には執権・・・」という発言がありましたが、それについて今日の新聞のコラムが面白かったのでご紹介。

2020年(令和2年)1月23日(木)朝日新聞夕刊から引用:
三谷幸喜のありふれた生活977 北条義時はカツオくん?

僕が脚本を書く再来年の大河「鎌倉殿の13人」の主人公は、北条義時である。( 中 略 )そして激烈なパワーゲームの末に勝ち残ったのが北条氏で、そのリーダーが義時なのである。
先日の制作発表会見で、僕は物語の骨組みを「サザエさん」に例えた。
ごくごくありふれた一般家庭の磯野家。長女サザエ(北条政子)がフグ田マスオ(源頼朝)と結婚した時から、彼らは歴史の大舞台へ。サザエの弟カツオ(義時)は、マスオの片腕となりフグ田幕府設立に尽力。マスオが馬から落ちて急死した後、サザエの父波平(北条時政)は妻フネ(牧の方)にそそのかされて、タラちゃん(源頼家・実朝)を殺して幕府を乗っ取ろうとする。それを知ったサザエとカツオは、波平とフネを追放。しかしその後、カツオは磯野家の地位を盤石にするため、マスオの血を引いたタラちゃんを葬り、フグ田家は滅亡。実質幕府は磯野家のものになった。ヘビーな話です。( 後 略 )

三谷幸喜氏の脚本には今度も期待できそうで、2022年の大河が楽しみです。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/29 7:42
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
「箱根の坂」ですね。
ちょっと興味があって、沼津の興国寺城跡にいってきました。駅(原)から結構歩きましたね。すぐ裏に東海道新幹線があり、走行騒音も聞こえていました。

伊豆半島がのぞめる台地、南はいまは平地になっているけど当時は海で、つまりは岬、舟を出せるところだったようです。
なるほど、伊豆のほうに、ここから攻めていったんだな、と。展望はきくので、今川、武田がとりあった理由もわからないではない。

しかし、北条早雲がここを本拠地としたという記録は乏しいようです。
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LuckyHill

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/29 11:42
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
>「箱根の坂」ですね。

司馬遼太郎作品にもあったのですね。今度読んでみます。
私が読んだことがあるのは、

北条早雲 中村 晃 PHP研究所
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-56944-4

こちらの方も「箱根の坂」と同様、早雲の出自に関して、俗に言われている伊勢の国出身の素浪人説ではなく、幕府足利家の執事みたいな役割を担っていた伊勢氏の係累で備前の国の出身であるという説で書かれています。でもまあ没年齢など不確かなところの多い人であることには間違いないようです。

北条早雲とはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】
https://colorfl.net/hojosounmatome/
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/1/29 12:13
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
北条早雲にせよ、斎藤道三にせよ、成り上がり系の人物の場合は、前半生はわからないことが多いですね。
道三なんかはそもそも、1人だったのか2人だったのか説があるみたいだし。。

司馬遼太郎は、人物を描く時に強いところも弱いところも書いて、一方的にならないところが好感もてます。
死後に日本史に関する新説がでてきて、書いてきたことが覆されることもでてきて、生きていたらどんなことを言うのだろう、と思ってもいます。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/3 15:32
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
「ダーウィンが来た」のあとで「キリンが来る」なんですね。いまごろ気づきましたが。

いろいろ伏線がありましたね。知っている人は知っている、というもので、にやっとしました。

・のちの明智光秀が堺にいくときに延暦寺の僧兵に関銭をとられた。

・堺で、鉄砲(火縄銃)なんか、火付けから発射までのインターバルが長くて実戦に使えない、おまえ(光秀)に売ってやる、といわれた。

・道三と龍興父子があまり仲がよろしくない。龍興が実の子でないかもしれないことを示唆...

なるほど、そうきますか。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/10 12:48
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
たまたま承久の乱についての本を手にとって読んだのだが。

承久の乱 日本史のターニングポイント (文春新書)

この時代は、大河ドラマにもならないといっていたのですが、よかったですね。

筆者がいうには日本史のターニングポイントであって、これをもって武家政権が朝廷をしのいだと。そういうもんですか。

確かに後鳥羽上皇隠岐の島流しって、朝廷にしてみれば大変な事態で。
戦いそのものは一方的で、幕府の大勝ちだったみたいですが。(ドラマにはならないですね)

頼朝は、失敗したけど、娘の大姫の入内を狙っていたようで、武士政権といいながら、やることは貴族と変わらないではないかと。
(結局大姫の早世で流れてしまう)
武士の時代がこれをもってしてはじまった、という説の裏には、それもあるんでしょうね。

(学校で教える)歴史の区分は、中央政府がどこにあったかで決めているようで、学問が進むと見直しが...あるのかなあ。
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Chryso

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1.1.1.4
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/2/10 13:04
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
道三が2代で岐阜を支配、という説は割と最近のもので、岐阜県史を編纂しているときに見つかった文書に、龍興からみて、父と祖父がいて、その祖父が成り上がってきたという。

文書発見は1963年だそうです。
南近江の六角氏が龍興との縁組み話に反対して、その理由に龍興からみて祖父の斎藤道三(1)は成り上がり者だ、といったというもの。

司馬遼太郎の「国盗り物語」では道三は1人だし、そんなこと描いてないぞ(笑)って、連載がはじまったのも1963年だそうです。

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YMN

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 .3 | 投稿日時 2020/2/11 15:05
YMN  常連   投稿数: 912
>・道三と龍興父子があまり仲がよろしくない。龍興が実の子でないかもしれないことを示唆...

 道三の息子の義龍とその子(つまり道三の孫)の龍興を勘違いしているようにも受け取れます。

https://bushoojapan.com/bushoo/saito/2019/10/31/64992/2
----引用
頼芸は、クーデターの前年に自分の愛妾・深芳野を道三に贈るのですが、これが後の斎藤家悲劇の源となります。

深芳野が道三に贈られたのが1526年の12月で、子の長男・義龍が生まれたのが翌年6月10日。
【中略】
さらに道三は美濃平定のため、あろうことか「義龍は頼芸の子」という話を利用するのです。

というのも当時、成り上がり者の道三に反感を持つ人は少なくなかった。
元の主君である土岐家に義理を感じる家臣もおり、彼等を手懐けるためには何かキッカケが欲しい。

そこで義龍が頼芸の子かもしれん、ということにしておけば「道三は嫌いだが、義龍は土岐家の血を引くし……まぁ、我慢してやるか」となる、という。
----引用終了

 深芳野を奪ったのではなく譲られたというあたり、わけの分からない話です。

 髪の毛とか残っていなくても、耳垢が乾いているか湿っているか、下戸かどうかの記述が残っていれば、場合によっては親子関係の否定の決め手にできるでしょう(肯定の決め手はありませんけど)。
もっとも耳垢のことなど史書に残っている可能性は低いと思います。

 「国盗り物語」に大柄な義龍が当時の小さな馬に乗ると足が地面に付いてしまったという記述があり、「いくら何でも」という感があり、どうなのでしょう。
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LuckyHill

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/11 16:51
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
>深芳野を奪ったのではなく譲られたというあたり、わけの分からない話です。

殿様が家臣に自分の愛妾を褒美として下げ渡すというのは、当時はさほど珍しくないことだったようです。

香の前 - Wikipedia から引用:
種はその美貌を見初めた太閤・豊臣秀吉の愛妾となり、香の前(香姫)もしくは、お種殿と名付けられた。のち秀吉から陸奥国の大名・伊達政宗に下賜され、政宗との間に慶長3年(1598年)に津多(女子)、慶長5年(1600年)に又治郎(男子)を産んだが、慶長7年(1602年)に政宗の重臣・茂庭綱元に下げ渡されてその側室となり、2人の子と共に綱元の屋敷に移った。香の前が綱元の側室となった際に、政宗との間に生まれた子供達は綱元の実子扱いとされ、以後は綱元の下で養育されることになった。

上のほうでも書きましたが、細川藤孝(幽斎)の出自に関してもそういう説があります。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/11 17:24
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
はい、間違えてしまいました。
道三の子とされているのは義龍です。

明智光秀謀反の原因にいろいろな説があるのですが、小和田哲男さん(今回、時代考証をされている)の説では、織田信長が武田氏を滅亡させたことで、朝廷は「征夷大将軍」をおくろうとしていたのだが、明智光秀はなまじ有職故実に明るいため「平氏である信長が征夷大将軍とはとんでもない、征夷大将軍は源氏のものだ」
で、明智光秀は源氏だったという。
それも原因の一つ(私怨)かもしれませんけど。

朝廷のやることに文句をいうな、有職故実に詳しいといっても、あなたは朝廷そのものではない、と思うのですが。

(ちなみに征夷大将軍になった家康は平氏から源氏に改姓しているようです。)

実際どういう論理で謀反したのか、光秀に聞いてみないとわかりませんが、信長を討ったあとの天下とり、国づくりのビジョンがいまいち弱いようだし、あまり深く考えていたようには思えない。
今回はどう描くのでしょうね。



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LuckyHill

なし Re: 年末の風景

msg# 1.1.1.1.1.1.1.4.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - | 投稿日時 2020/2/11 17:39
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
>司馬遼太郎の「国盗り物語」では道三は1人だし、そんなこと描いてないぞ(笑)

私も道三の前半生については、(これも証拠は無いんだろうなと思いつつも)司馬遼太郎『国盗り物語』のストーリーしか知らなかったので、上の方でも書いた宮本昌孝『ふたり道三』(2003年刊行)を読んだ時には、

「これ、どういう展開に持っていくつもりなんだ?史実の部分は『六角承禎条書写』をベースにしているというが、話膨らませ過ぎだろ!」

とビックリしましたよ。だって隠岐に流された後鳥羽上皇のところから話が始まるんですから(笑)。
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YMN

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.1.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/12 0:03
YMN  常連   投稿数: 912
>殿様が家臣に自分の愛妾を褒美として下げ渡すというのは、当時はさほど珍しくないことだったようです。

 昔だと20代半ばで女性は年増になってしまうでしょうし、殿様であれば次々と若い妾に鞍替えできる境遇にあるかと思います。
その羨ましい(?)立場になってみると「もうええわ、くれてやるわい」という心境になるのはさほど不自然なことではないのかもしれません。

 男なんてそんなもののようでもあります。
現代では想像もできないような行為が歴史にありますが、それも人間の本質の一面かと思います。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.2.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/12 6:21
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
全くの偶然ですが、今日2月12日は、家康が征夷大将軍になった日だそうです。amazon homeが、「今日は何の日」の回答で言っていました。

家康の子供時代(竹千代時代)、「麒麟が来る」に出ていましたね。その頃は、尾張の織田家に人質として居て、交換で駿河の今川方に移り、桶狭間の戦いの時は、今川方だったという...

お母さんが刈谷にいる、というのでわかってしまいました。

***

桶狭間の戦いのときに兵糧をいれたとされる大高城跡に行ったことがあります。時の流れが止まったようなところで、住所を示す表札が「知多郡大高町」でしたね。子供の頃には結構あった家屋がまだ残っていて、人ももちろん住んでいる。
大高が名古屋市緑区になったのは1964年。
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LuckyHill

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.1.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/12 12:30
LuckyHill  一人前   投稿数: 1417
>上のほうでも書きましたが、細川藤孝(幽斎)の出自に関してもそういう説があります。

ドラマ『麒麟がくる』のほうとリンクさせると、現時点で細川藤孝(眞島秀和)はまだ登場していませんが、幕府奉公衆の三淵藤英(谷原章介)が初回、十兵衛が堺に鉄砲を買いに来たシーン※に登場していました。この人は藤孝の異母兄ということなのですが、もしも将軍ご落胤説を採れば、生物学的にはこの二人は全くの他人。藤孝は主君である第13代将軍足利義輝(向井理)・第15代将軍足利義昭(滝藤賢一)の異母兄ということになります。

斎藤道三・二代説を採用した今回の大胆な脚本なら、もしかしたら藤孝の将軍ご落胤説にまで踏み込んでくるかも・・・。ぜひ期待しましょう(笑)

『麒麟がくる』相関図
https://www.nhk.or.jp/kirin/special/soukanzu.html

※堺のシーンは、松永久秀(吉田鋼太郎)の存在感が圧倒的でした。
この人の最期、爆死のシーンはちゃんとやるんだろうか?(汗)
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YMN

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.3
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/2/12 20:39
YMN  常連   投稿数: 912
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%81%93%E4%B8%89#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Saito-Dozan-2.jpg

 斎藤道三の肖像画で顎が随分出ています。
そして斎藤義龍は2m近い6尺5寸あったとされています。
遺伝性の成長ホルモン過多が顎の末端肥大と体の巨大化に現れた解釈すれば、実の親子説に有利な要因になるでしょう。

https://bushoojapan.com/bushoo/saito/2019/05/19/125185
----引用
実はこちらのお話、江戸時代末期になって流布されたもので、内容はかなり怪しいです。
当時の義龍は「道三の庶長子(側室の息子で長男)」という立ち位置であり、それ以上でも以下でもなかったでしょう。
----引用終了

 こういう記述もあります。
川中島の信玄と謙信の一騎打ちのシーンとか、史実かどうかはともかくとして外すわけに行かないものがあり、道三と義龍の件もそのようでもあります。
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Chryso

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.3.1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/17 21:28
Chryso  スタッフ   投稿数: 5777
どうも歴史学では、資料はその事実を書いている時に近いほど信頼できることになっているようで。かの斎藤道三2人説のもとになる六角氏の書状も、道三死後6年に書かれたようです。で、信用に足るとされます。

で、時間が離れると、俗説やら軍記ものやらで汚染されていくと。

現代でも小説あり、映画あり、ドラマありで、脚色があって、史実から離れてしまいますね。

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YMN

なし Re: 日本史を読む

msg# 1.1.1.1.1.1.1.3.3.1.2.2.1.1.1.1.3.2
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2020/2/20 21:13
YMN  常連   投稿数: 912
>末端肥大

 言葉の意味はさほど変わらない感がありますが、今は先端巨大症ということになっているようです。

 タレントのガンバレルーヤ・よしこがこれだったのでした。

https://news.merumo.ne.jp/article/genre/8552518
----引用
次によしこは「たまたま人間ドック行ったら見つかったんです」と切り出し、「病院の先生が、私がテレビ出てる時に『あ、この子先端巨大症だなって分かってた』って。『そしたら来たからビックリしました』って言ってました」と明かす。
----引用終了

 その医師から見れば凄い偶然になりますが、気がついた医師は沢山いたのかもしれません。
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