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いちにちじゅう、やまみち


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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2018/7/31 7:23
Chryso  スタッフ   投稿数: 4785
夏休みをとって、しかし特に予定はないので、実家に帰ってゆっくりしている。

昨日は中央線周りできました。途中で、ひさびさに奈良井宿に寄ってきました。
中山道、鳥居峠を前にして、ここで泊まる旅人が多かったとか。平日なので人も少なく、いい雰囲気でしたね。

今日は、一度行っておかないと、と思っていた関ヶ原の松尾山、とか、長浜とか大垣城とか行ってこようかと。
暑くなりそうです。
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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2018/8/1 8:06
Chryso  スタッフ   投稿数: 4785
というわけで、行ってきました。関ヶ原の松尾山。煙となんとかは高いところに登る。なんとかはもう1人いました。

うまい具合に電動アシスト自転車がレンタルされており、それでまわってきました。松尾山は観光地図からはずれていて、案内だけあるという具合。確かに町の中心地からは、ちょっと外れています。低い割には(219メートル)鞍部が意外と多く、暑かった..

小早川秀明がここに陣取って、裏切ったことで、関ヶ原の戦いは東軍勝利になったということ。確かに展望はいいところで戦況はよくわかりそうです。案内板にはもう少し広い範囲が見えていることになっていますが、木が成長しているためかもしれません。写真ではよく見ると東海道新幹線の車両が見えています。


家康が裏切りの決断させ、加勢させるために、鉄砲を打ったことになっていますが、聞こえたのか?
東海道新幹線の騒音は、この山に登っている途中でもよく聞こえていたので、見通しはよかったとは思いますが、鉄砲が家康のものだとわかったのか、という疑問もあるみたいです。まして、家康の最初の陣は(ここも今回行った。)かなり東のほうの桃配山。だんだん西進しているとはいえ、家康はその時、どこにいたのか?

小早川秀明はその2年後に21歳で亡くなっています。21。その昔は15で元服したくらいで、大人扱いされたのも早いとはいえ...

ちなみに家康の最初の陣の桃配山からも、まだ少し、ゆるやかな勾配が続いて駅に至ります。家康はじりじりと標高を上げていったんですね。

石田三成の陣と最終決戦地が「見渡せる」ほどに近いのも、実地に立つとわかります。笹尾山といいますが、山というか丘陵というか、というところ。ここに立って遠望するとこんな感じ(南のほうを見る)。幟のたっているところが決戦地。


いずれも案内板が充実していて、よくわかります。いろんなテーマをもってまた行きたいところです。島津が敵中突破して、国まで帰ったルート、というのもいずれ。西と東の境といわれる寝物語の里というのも行きたいですね。ここを超えるとうどんのつゆの色が変わり、餅が丸いもの(西)から四角(東)にかわるという。美濃と近江の境で、関ヶ原を通り過ぎてやや低くなったところにあります。







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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2018/8/1 8:51
Chryso  スタッフ   投稿数: 4785
昨日時点ではまだ7月だったわけですが。

松尾山ではニイニイゼミとツクツクボウシが一緒に鳴いていました。これも初めての経験ですね。
ツクツクボウシがなく頃は、夏休みの宿題を仕上げる時期なのに。
夏の甲子園もまだはじまっていないし。

実家ではもう桔梗が咲いて花も落ちてしまったというし、萩も咲き始めたし、今年は季節の進み方があいかわらず早いです。


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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2018/8/1 9:03
Chryso  スタッフ   投稿数: 4785
で、小早川の陣だけが、山の上にある。狙っていたのか?
狙うにしては、ここ関ヶ原が決戦場になるとは結果論であって、西軍はもう少し東の大垣城から、西に退いた格好。家康が大垣城を無視して西進するという話を聞いて、石田三成が関ヶ原に引っ込んだということ。
それ自体は正解で、三成のほうが家康よりも標高も高く、有利だったわけで、実際に午前中は優勢だったようです。

家康に内通していたとはいいますが、そこらへんをもう少し掘り下げたいですね。


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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2018/8/1 16:32
Chryso  スタッフ   投稿数: 4785
で。小早川がここを陣地にしたのが9月12日で、関ヶ原の戦いが15日。
先にいったとおりで、ここが決戦地になるとはその時は思っていなかったわけで、ここを陣地にする、計画性はないでしょう。

小早川隊はこの山の麓にいて、それが一気に寝返った、という説も、合理性がありそうです。

各武将が当日、どういう動きをしたのか、予習が必要のようです。
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