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【補足説明20】大乗仏教の「真如」【25】~【27】

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なし 【補足説明20】大乗仏教の「真如」【25】~【27】

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/1/29 18:37
SumioBaba 
    【補足説明20】大乗仏教の「真如」【25】~【27】

  【25】「真如」のダブル・トートロジー

 《問6》=「真如とは存在するものでも非存在なるものでもなく、存在しかつ存在しないものでもなく、存在せずかつ存在しないのでもないというのでもない。それは一なるものでなく、多なるものでもなく、一にしてかつ多なるものでもなく、一にしてかつ多なるものでないというのでもない」という矛盾に満ちた表現を、矛盾なく説明せよ。
 《答6》=これは「真如」が、「存在する」と「存在しない」、および、「一である」と「多である」について、ともにダブル・トートロジーを成立させていることだ、と理解される。つまり以下の(1)(2)と(3)(4)である。
  (1)「存在する」と認識する視点に立てば「存在する」と認識する。
  (2)「存在しない」と認識する視点に立てば「存在しない」と認識する。
  (3)「一である」と認識する視点に立てば「一である」と認識する。
  (4)「多である」と認識する視点に立てば「多である」と認識する。
「真如」すなわちM0、M1、M2、M3、…は「半存在」であり、(1)と(2)を満たしている。「真如」は「絶対的真如」M0でもあれば「条件付き真如」M1、M2、M3、…でもあり、(3)と(4)を満たしている。

  【26】〔色即是空・空即是色〕M0=M0+M1+M2+M3+…

 結局すべての謎は、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕で説明されることになります。「空」M0は完全な無意識状態であり、数の0と同様に、「有る」=「無い」が成立するので、「「有る」と言えば「有る」」、「「無い」と言えば「無い」」という意味で「半存在」です。(これこそが「不二法門」)。

 5は、5+0でもあるように、右辺にも「空」M0を含ませてM0=M0+M1+M2+M3+…と書くこともできます。この右辺を見ると、「空」M0以外に「色」M1+M2+M3+…が存在していますが、左辺を見ると、「空」M0だけが存在して「色」M1+M2+M3+…は存在しません。そしてもちろん、左辺=右辺、ですから、「色」M1+M2+M3+…もまた「「有る」と言えば「有る」」(右辺)、「「無い」と言えば「無い」」(左辺)という意味で「半存在」です。(これこそが「不二法門」)。

 「全知全能の「神」はなぜ、全知全能でない人間を作ったのか?」という謎も同様で、M0=M0+M1+M2+M3+…がすべてです。右辺を見ると、「神」は全知全能である「空」M0だけに留まらず、人間の心である「色」M1+M2+M3+…も作り出しています。左辺を見ると、「神」は全知全能である「空」M0だけに留まり、人間の心である「色」M1+M2+M3+…は作り出していません。そしてもちろん、左辺=右辺、です(これこそが「不二法門」)。

  【27】「真如のパラドックス」の超越

 「真如」のパラドックスを思い出しましょう。「真如」は何も限定されないものですから、あらゆる○○○について、「○○○である」も「○○○でない」も、両方を満たす必要が有ります。しかし、もし「真如である」=「○○○である」と定義してしまうと、「○○○でない」の方を放棄することになってしまいます。「真如である」は「真如である」かつ「真如でない」でなければならず、だからこそ「真如」は言葉で定義できない、というパラドックスでした。

 このパラドックスは、「真如」を集合として定義することによって超越できているのです。「真如」の定義は、「SB量子神学」の「神」と同じで、「存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…を要素とする集合{M}」でした。つまり「真如である」=「全体集合{M}である」です。では、この否定である「真如でない」は何を意味するでしょうか? 言葉だけだと、「真如でない」=「全体集合{M}でない」になりますが、これには2通りの解釈ができます。

 1つは「真如でない」を{M}の外部に求め、{M}に含まれていない心の状態だと見なすことですが、{M}は存在し得る心の状態すべてを網羅しているため、その外部はφ(空集合)になります。従って、「真如でない」=φ(空集合)を放棄したと言っても、実際には何も放棄していない訳です。あるいは、「真如でない」=φ(空集合)は、「真如である」=「全体集合{M}である」に、部分集合として含まれていると見なすこともできます。

 もう1つは、「真如でない」を{M}の内部に、{M}の部分集合{Ma}であると定義することです。{Ma}の要素が0個ならφ(空集合)になり、1個なら個々の要素であるM0、M1、M2、M3、…になります。ところが今度は、「真如である」=「全体集合{M}である」と「真如でない」=「部分集合{Ma}である」とは背反的関係ではなくなり、「真如である」⊃「真如でない」という包含関係になります。実際、個々のM0、M1、M2、M3、…はどれも「半存在」なので、部分集合{Ma}の補集合を{Mx}とするとき、{Ma}と{Mx}の両方の要素が「存在する」でもあるし、{Ma}の要素は「存在する」だが{Mx}の要素は「存在しない」、でもあります。だから「真如」は、「真如である」と同時に「真如でない」をも含んでおり、矛盾は超克されているのが理解できます。


 「SB量子神学」についての詳しい説明は、Amazon(KDP)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)』の《基礎論》(ASIN:B019FR2XBC)と《詳細論》(ASIN:B019QNGL4K)と《メールマガジン1~30》(ASIN:B01AP012EU)と《メールマガジン31~60》(ASIN:B01AXG6LQW)の中にあります。
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