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【補足説明15】大乗仏教の「真如」【10】~【12】

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なし 【補足説明15】大乗仏教の「真如」【10】~【12】

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2015/11/23 3:01
SumioBaba 
    【補足説明15】大乗仏教の「真如」【10】~【12】

  【10】なぜ「絶対的真如」は「条件付き真如」に化けるのか?

 -----〔解決を拒む問題〕世界が真如の顕現であるとすると、ここで我々はきわめて不可解な問題に直面することになる。その問題は、人間が知性を持つようになって以来、最もすぐれた人々の心を悩まし続けてきたものである。それはすなわち、「真如はなぜ神秘的な超越性の世界に留まり続けず、様々な不幸が我々に押し寄せているこの地上へと降りてきたのか。自分自身の絶対性の、言語を絶した至福を享受できるというのに、わざわざこの世の塵にまみれるということにはいかなる本来的必然性があったというのか。すなわち、絶対的真如は一体どうして条件付き真如になるのか」という疑問である。こういった疑問は人間に関わりのないことであるといって片づけてしまうのが、不可知論者や実証主義者のやり方である。しかしこれらの問題は、人の心がお遊び気分で気まぐれに思いついたものではない。それはかつて我々に課せられた問題の中でも最も重大なものであり、人生の意義は、ひとえにそれらの問題をどう解決するかにかかっているのである。-----

 まさにその通り、これが最大の謎です。「SB量子神学」の言葉で表現すると、「なぜ全知全能の「神」は、敢えて全知全能でない人間なんか作ったのか?」です。
 もちろん、「なぜ作ったのか?」を合理的に説明する必要が有ります。と同時に、「神」は全知全能であるため、「作っている」と「作っていない」の両方を実現している必要が有ります。これをどう説明するか?

  【11】なぜ「神」は全知全能でない人間を作ったのか?

 -----この謎が、限定された知性や論理的証明能力の領域を絶対的に越えてしまっていることから、人の心に依るだけでそれを解決することはできないということを仏教は認める。-----

 《謎》=「なぜ「神」は、敢えて全知全能でない人間を作ったのか?」。「SB量子神学」の答はこうです。《答》=「「神」は、本当の意味で「全知全能である」を満たすため、「全知全能である」だけでなく、その否定である「全知全能でない」をも実現する必要が有るから」。「全知全能である」が「絶対的真如」すなわち「空」M0であることを意味し、「全知全能でない」が「条件付き真如」すなわち「色」M1、M2、M3、…であることを意味します。両方実現して初めて弁証法的に、「神」は本当の意味での「神」(合)=「全知全能である」(正)+「全知全能でない」(反)になり得るし、「真如」もまた「真如」(合)=「絶対的真如」(正)+「条件付き真如」(反)になり得るのです。

 しかも、個々の心M0、M1、M2、M3、…は「半存在」であり、「存在する」と「存在しない」の両方が実現されています。M1とM2とが、シュレディンガーの猫の「生」と「死」を知覚する心のように互いに矛盾する情報を持つ時、どちらも「自分にとって自分の存在確率は1」ですが、「自分にとって相手の存在確率は0」です。<Mi|Mj>=δij〔i=jのときδij=1、 i≠jのときδij=0〕。だから「神」は、「色」M1、M2、M3、…を「作っている」でもあれば「作っていない」でもあり、「なぜ作ったのか?」、「なぜ作らなかったのか?」という謎自体も無いのです。

  【12】「空」M0の中に「色」M1、M2、M3、…が在る

 -----宗教には、自分が提示する命題を自然科学のやり方にならって証明する義務などない。宗教は事実をそのままに説けばよいのである。そして知性の方は、それが本来持つ限界によって束縛されてはいるものの、全力を挙げてそれらの事実を首尾一貫したひとつの体系へと組み上げていかねばならないのである。-----

 先程の謎です。《謎》=「なぜ「絶対的真如」は、敢えて「条件付き真如」に化けたのか?」。こう答えれば良いはずです。《答》=「「絶対的真如」は、「何も限定されない」ため、「何も限定されない」をそのまま実現して「絶対的真如」のままでもいられるし、「「何も限定されない」にさえ限定されない」すなわち「何かに限定される」を利用して「条件付き真如」にもなれるから」。
 「真如」の本質は「何ものにも縛られない」です。そしてこの「何ものにも縛られない」をそのまま実現したのが「空」M0です。ところがもしこれだけだと、「真如」は「何ものにも縛られない」という法則にだけは例外的に縛られていることとなり、「真如」の完全性に傷が付いてしまいます。完全性を満たすために「真如」は、「「何ものにも縛られない」にも縛られない」すなわち「何かに縛られる」をも実現する必要が有ります。それこそが「色」M1、M2、M3、…なのです。なお、「「「何ものにも縛られない」にも縛られない」にも縛られない」は「何ものにも縛られない」に戻るため、これ以上考える必要は無いようです。

 しかも、M0=M1+M2+M3+…〔色即是空・空即是色〕が成立しています。左辺が「空」すなわち「絶対的真如」であり、右辺が「色」すなわち「条件付き真如」です。右辺は線形の重ね合わせであり、M1、M2、M3、…と見なすこともできるし、(M1+M2)、(M3+M4)、(M5+M6)、…と見なすこともできるし、(M1+M2+M3)、(M4+M5+M6)、…と見なすこともできるし、…、(M1+M2+M3+…)が1つだけと見なした場合にはそのままM0になります。M0はM1、M2、M3、…に分裂するまでもなく、M0であることがそのままM1、M2、M3、…のどれでもあるのです。「空」M0=「?????…」は、全体としては完全な無意識状態ですが、その部分の中にすべての「色」M1、M2、M3、…を含んでいるのです。M0=M0+M1+M2+M3+…と書くこともできます。
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