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アレクサンドロス大王

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YMN

なし アレクサンドロス大王

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 .2 | 投稿日時 2020/6/27 20:32
YMN  常連   投稿数: 926
 たまたまネットで目にしたという個人的事情ですが、アレクサンドロス(アレクサンダーあるいはアレキサンダー)大王に関心を持ったことがあります(遠征と言えば聞こえが良いですが侵略とも言え、残虐行為もやっていて「大王」に引っかかりを感じますが、当時はそれも常識のうちだったのでしょう)。

 父親のフィリッポス2世が弱小国家のマケドニアを強国にしたてあげ、東に遠征しようというところで男色のもつれから殺害されてしまいます(子供ができているのでバイセクシャルということになります)。
二十歳で王位を継承した大王は遠征の後に32歳で病死してしまうわけですが、神がかった天才的な力には若さも必要で、おっさんになってからでは無理だったと思います。
殺人事件の結果ではありますが、父親が築いたものを若くして受け継ぐバトンタッチがうまく行ったものと思います。

 1代でできることは限りがあり、優秀な人が続くことが時として重要な結果に繋がることがあり、逆に2代目が凡庸で凋落してしまうこともありがちでしょう(斎藤道三の父子二人説というのもあります)。

 事細かく大王のことが語り継がれていますが(後世の創作がかなりあるかもしれませんけど)、どこに居たのかさえ分からない卑弥呼の何百年も前のことになります。
良く見かけるペルシア王と戦う大王の姿は、ポンペイの遺跡に埋もれていたモザイク画というのはあまり知られていないと思います。
その戦い(イッソスの戦い)でペルシア王は逃げ出して、王の夫人や母親などが捕まってしまいますが、丁重に扱われました(戦場に女性の親族を連れていく発想が分かりませんが、いい所を見せたかったのかもしれません)。

 イスカンダルと言うと宇宙戦艦ヤマトを連想しますが、イスカンダルはアレクサンドロスのアラビア語、ペルシア語での呼称です。

 ユーゴスラビアの一部だった北マケドニアという国が現在ありますが、前はマケドニアと称してギリシアからクレームがついたという経緯があります。
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