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かつて存在し、リアルに記憶に残るモノは存在したと言えるか

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OK_like-mj

なし かつて存在し、リアルに記憶に残るモノは存在したと言えるか

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2019/12/15 8:40 | 最終変更
OK_like-mj  常連   投稿数: 254
誰にでも、親族や親友で
すでに亡くなってしまった方の
生々しい記憶を、心の片隅にお持ちの方は
多い事と思いますが

それが、本当にあった現実という・・・
自分に影響を刻み込むような生々しい人たち
という意味ではなく
記憶というDigital情報と同じ程度の
0と1で、原理的に構成可能なモノに過ぎない
数学的対象などと言えるのか・・・
って問題に証明を与えるには

"時間"というモノが存在すると言えるか
言えないかという問題と等価と思われます

量子力学が、de Broglieの考えた
物質波をめぐる考察を、一般座標系で表現した
Hamilton-Jacobi方程式の解の作用Sを
そうした何だか分からない波の位相と見切った
事で、Break Throughは成し遂げられ
数々の数学的背景が明らかになった

その特徴的構造は、その世界を
私たちの世界で記述するには
物理量という測定された数字であるべきものが
演算子という、函数に作用して初めて意味を
もつ
そういうモノが、対象のあり方を記述する事が
分かったのだ

ところが、"時間"だけは
演算子をもたないのだ

ここで、力学の歴史を振り返ると
Newtonが定式化した第二法則を
動画に喩えるなら、それは
巻き戻しが可能な世界を表現しており
ここを起源に、すべての力学と銘打つものは
基本、巻き戻し可能と考えられている

素粒子の一部に、時間反転非対称なモノが
あるとしても、そういう個別の粒子の性質が
私たちが感じる"時間"につながっているものでは
ないでしょうから

もし、この世界に、たった1つしか物が無ければ
運動自体に意味がないのと同様に
"時間"というのは、多くの存在が無ければ
意味を持ち得ません

つまり、運動を考えるには
基準となる別の存在や、そこで構成される座標系
ってものの存在が不可欠なように
"時間"という量は、法則としての運動を
記述するparameterではあっても
法則が存在するからと言って、"時間"があるとは
言えないのだ

では、なぜ、あるとも無いとも言えないようなモノで
法則は、記述されているのだろうか

ここに、"時間"という捉えどころの無いものを
表現するには、周期運動する何等かの装置を
使うしか、やり様がない事に気づく

つまり、運動で、運動を測定する訳だ

ここに、すべての秘密がある

つまり、周期的な運動は
空間が関与している事と等価なのだ
そのため、たった1つの周期的運動は
それ自身で特定する内容をもつ

でも、ここが肝心な点で
周期的に運動する存在は
延々と同じ運動を繰り返すダケで
私たちが"時間"と呼ぶモノとは
決定的に違っているのだ

この違いを突き詰めると
やはり、時間の働きの本質は
同じ事をタダ繰り返すのではなく
質的な変化にあると分かる

ここで、量子力学に戻ると
なぜ、"時間"だけに演算子が無いのか
という問題は、量子力学の本質が
運動を運動で評価する"力学"ってものの
構造を引き継いでいるからに他ならないと
気づく

つまり、時間という運動で評価する"力学"
にあっては、"時間"という運動を不問に伏したまま
位置や運動量などの力学量を定義できた
これは、物質波の位相を不問に伏したまま
演算子システムを構成できた量子力学の体系と
似た状況がある

ここから先の展開は、Tomio Petrosky先生の
論文に詳しい背景があるのですが
徐々に明らかにするつもりです
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