メインメニュー
PR
facebook
別フォーラムへ

大乗仏教の「真如」【1】~【40】

投稿ツリー


このトピックの投稿一覧へ

なし 大乗仏教の「真如」【1】~【40】

msg# 1.30
depth:
1
前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/4/21 20:45
SumioBaba 
            大乗仏教の「真如」【1】~【40】


 なぜ人間には、「幸福」だけでなく「不幸」も起こり得るのでしょう? もし全知全能の「神」が実在するのなら、病気や怪我で苦しんでいる人々を助けてくれれば良いのに、なぜ「神」は何もしてくれないのでしょう? こういった疑問から、「無神論」に陥った人も多いと思われます。

 答を一言で言うと、《人間の幸福》と《神の幸福》とが一致していないのが原因です。人間は、自分がたった1つの人生だけを体験しているのだと思い込んでいます。だから、「幸福」は体験したいけれど、「不幸」は体験したくありません。《人間の幸福》=「「幸福」だけを体験し、「不幸」は体験しないこと」です。一方、全知全能の「神」は無数の体験が可能なので、「幸福」な体験だけでなく、「不幸」な体験もしてみたいのです。つまり、《神の幸福》=「「幸福」も「不幸」も体験すること」となります。
 人間が望む「幸福」を「幸福」(正)、人間が望まない「不幸」を「不幸」(反)と書くなら、
   《人間の幸福》=「幸福」(正)
です。一方、《神の幸福》を「幸福」(合)と書くなら、これは「幸福」(正)と「不幸」(反)とを併せたものであり、
   《神の幸福》=「幸福」(合)=「幸福」(正)+「不幸」(反)
となります。ここでもまた、弁証法的構造が現れます。

 人間は、自分の人生を一度きりだと思い込んでいるので、「「幸福」だけを体験すること」と「「不幸」だけを体験すること」の2つのうち、「「幸福」だけを体験すること」の方を選びたいと考えます。しかし、もし自分が、「「幸福」だけを体験すること」と「「不幸」だけを体験すること」と「「幸福」と「不幸」の両方を体験すること」の3つの中から、どれか1つを選べるとしたらどうでしょう? 一番楽しいのは「「幸福」と「不幸」の両方を体験すること」ではないでしょうか? 

 1人の人間としての自分は今、「不幸」を体験しているとします。もしここで、自分が体験しているのは「不幸」だけであり、「幸福」は体験していないとすると、「神」を呪いたいほどの不満が生じ、苦しみます。そこで、本当の自分は全知全能の「神」なのであり、「幸福」と「不幸」の両方を体験しているのだ、と考えます。すると自分は、3つの選択肢の中から最も楽しいものを選んでいることとなり、不満は消滅します。

 人間の心は、自分が住む世界の中で「時間の流れ」を実感し、「物理法則」に縛られながらも「自由意志」で最善と思われる行動を選択しつつ、できるだけ自分を幸福にし、かつ、隣人たちをも幸福にしたい、というゲームをしています。これが「人間視点」です。このゲームを楽しむのが人間の存在目的なので、ゲームが楽しい人は思いっきり楽しむべきです。
 ただ、1人の人間として耐えられないほどの苦しみに遭遇した時は、「人間視点」を離れ、「神視点」を想像すれば良いのです。「神視点」に立てば、「時間の流れ」も「物理法則」も「自由意志」も意味を無くします。そして全知全能の「神」は、幸福な心も不幸な心も含め、存在し得るすべての心M0、M1、M2、M3、…をコレクションにして楽しんでいるだけ、となります。


 大乗仏教の「真如」【1】~【27】を修正・加筆し、【1】~【40】をAmazonのKDP(キンドル・ダイレクト・パブリッシング)による電子書籍『「神」を完全に解明しました!!(SB量子神学)《真如論》』(ASIN:B01EGRQXC6)にしました。もし良かったら読んでみて下さい。
投票数:0 平均点:0.00
返信する

この投稿に返信する

題名
ゲスト名
投稿本文

  条件検索へ



ログイン

ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失  |新規登録
PR
twitter
Created by: twitter website widget