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【究極原理】の3つの選択肢

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なし 【究極原理】の3つの選択肢

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2016/3/19 8:15
SumioBaba 
           【究極原理】の3つの選択肢
(メールマガジン『「神」を完全に解明しました!!【No.96】』からの引用です。)


 「SB量子神学」では、
               【究極原理】
   人間が疑問を抱くすべての謎は、トートロジーに解消できる。
を第一原理に定めます。具体的には量子力学の多世界解釈を応用し、トートロジーではないどんな「○○○」に対しても、「○○○である」と「○○○でない」の両方が実現されていると想定します。その上で次の(1)(2)(※)を考え、「なぜ○○○なのか?」という謎をトートロジーに解消してしまいます。
   「○○○は真」だと認識する視点に立てば、
              「○○○は真」だと認識する。  …(1)
   「○○○は偽」だと認識する視点に立てば、
              「○○○は偽」だと認識する。  …(2)
そして、
   「「○○○は真」だと認識する視点」と「「○○○は偽」だと認識
   する視点」の両方が、必ず存在する。          …(※)
こう考えることにより、「なぜ「○○○は真」なのか?」と「なぜ「○○○は偽」なのか?」の両方が、ともにトートロジーに解消され、謎は何も無かったことになります。

 仮に、「○○○」自体はトートロジーでないにも関わらず、「「○○○は真」だと認識する視点」だけが存在し、「「○○○は偽」だと認識する視点」の方は存在しない、と仮定してみましょう。この時、
   「○○○」はすべての視点において真である「絶対的真理」。
となり得ますが、逆に、
   なぜ「○○○」は、トートロジーでもないのに、「○○○は真」
   の方だけが選ばれて実現し、「○○○は偽」の方は選ばれなかっ
   たのか?                     …≪謎≫
という困った謎が発生します。「○○○は真」とは異なる命題Pを用いて「それはPだからだ」と説明しても、「なぜPなのか?」という謎が残ります。また別の命題Qを用いて「それはQだからだ」と説明しても、「なぜQなのか?」という謎が残ります。…以下同様、このような説明は無限後退してしまい、完全な答は永久に得られません。

 それゆえ、「「○○○は真」だと認識する視点」と「「○○○は偽」だと認識する視点」の両方が存在していると考えます。そうすると≪謎≫は事実誤認だったこととなって消滅し、答える必要が無くなります。その上で(1)(2)(※)の説明をすれば、(1)も(2)もトートロジーであり、この謎は完全に消滅します。本当の意味で謎を完全解明する唯一の方法は、その謎が実はトートロジーに他ならないと示すことです。
   視野が狭くてついつい謎が存在すると思っていたが、よく考えてみ
   たら単なるトートロジーで、謎は何も無かった。
と理解させるのが、謎の完全解決です。難解な謎を、より解り易い命題P、命題Q、命題R、…で置き換えて見せることで、その謎の意味をより深く理解できるのは確かだし、多数の謎をたった1つの謎にまとめることも可能(それをやっているのが「科学」)ですが、トートロジーに解消しなければ無限後退してしまい、完全な解決には決して至れません(それが「科学」の限界)。

 そこで問題は、「○○○」にこの【究極原理】自体を代入するとどうなるか、という点です。実際に代入してみます。
   「【究極原理】は真」だと認識する視点に立てば、
          「【究極原理】は真」だと認識する。  …<1>
   「【究極原理】は偽」だと認識する視点に立てば、
          「【究極原理】は偽」だと認識する。  …<2>
そして、
   「「【究極原理】は真」だと認識する視点」と「「【究極原理】は
   偽」だと認識する視点」の両方が必ず存在する。    …<※>
<1>は【究極原理】を真だと認識する場合の話なので、特に問題は有りません。しかし<2>と<※>の方は、【究極原理】を偽だと認識する視点が存在し得るかのように扱っています。【究極原理】は証明無しに「公理」の如く真だと前提したはずなのに、それが真でも偽でも有り得ると見なすのは変(?)です。
 では、【究極原理】だけは例外で、どんな視点に立っても真となる「絶対的真理」であり、偽にはなり得ない、と見なすべきでしょうか? でも、トートロジーでない【究極原理】がなぜか真にだけなり偽にはならないとすると、「なぜ【究極原理】だけは「絶対的真理」なのか?」というトートロジーに解消できない謎が残ってしまいます。 それとも【究極原理】は、それ自体がトートロジーであり、<1><2><※>の処方箋でトートロジーに解消する必要が、そもそも無いのでしょうか?
 「○○○」に【究極原理】自身を代入するとどうなるか?という問題は、次の3つの選択肢のどれを選ぶべきか、という大問題を意味します。

                選択肢[1]
   【究極原理】はトートロジーではないが、これだけは例外的に「絶
   対的真理」だと見なし、どんな視点に立っても「【究極原理】は真」
   であり、「【究極原理】は偽」となる視点は無い、と考える。
   (この場合、「トートロジーでもない【究極原理】がなぜ「絶対的
   真理」なのか?」という謎は永久に隠蔽されるが、数学や論理学で
   定める「公理」も、それ自体の正しさは証明無しに仮定するのであ
   るから、それと同じだと見なして諦める。)

                選択肢[2]
   【究極原理】はトートロジーではないので、やはり「【究極原理】
   は真」だと認識する視点と「【究極原理】は偽」だと認識する視点
   の両方が有り得る、と考える。
   (この場合、「SB量子神学」と「クオリア統一理論」は「【究極原
   理】は真」だと前提した上での理論なので、「【究極原理】は偽」
   となる視点に立った時には通用しない理論になってしまう。)

                選択肢[3]
   【究極原理】自体がトートロジーである、と考える。
   (これだと【究極原理】は、問題なく「絶対的真理」になり得るが、
   今度は【究極原理】の方が「5は5である」のような無意味な命題
   になってしまう。)
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